Monday, November 19, 2012

あなたは善人、悪人?

人は生来善か悪か、と自答している自分がいつもいた。人間が存在する限りあった古来からの質問であろう。

この質問に答えるのは今の時代には特に重要に感じる。メディアで報道される地球のあらゆる場所で起こる犯罪が私に結論を急がせることも多々あった。

しかし私が最近遭遇した「不幸」な事件が、私の心にはっきりとした答えをくれた。

不幸中の幸いとはこのことである。

*〜*〜*〜*〜*


インドのゴアで旅行中にレンタルのスクーターでこけて左足のすねの骨を折ってしまった。


妊娠23週目の体であった。幸いにも胎児は無事である。

4週間のバケーションの最後の週のハロウィーン(10/31)に起こった。

精霊のいたずらだろうか、などと勘ぐったりもしたが、その村、アゴンダビーチに長く住む西洋人の話によると、そこでは毎年何度も事故があり、何人も亡くなっているそうだ。

ひざにぽっかり3cmほどの穴が空いていて、ザクロのように見えたのが事故現場からの一番強烈な印象だ。すねの中程が2cmくらい突出していた。明らかに骨が折れていた。

幸運なことに、ショックのせいか、神様にお守り頂いていたおかげか、不思議なほど痛みは感じられなかった。

救急車を待っている間の40分間には、通りかかりの地元のインド人や西洋からの観光客の方々もたくさん手助けをしてくれて、人のやさしさに心が癒された。

その中の一人である地元に在中のカナダ人の男性は、「事故後のショックを和らげるために」とバッグからホメオパシックのお薬を取り出して私にくれた。近くにある私営病院の名前までわざわざ紙に書き留めてくれた。

この人がいなかったら設備の整った治療を受けた病院にたどりつけなかっただろう。

たまたま事故現場を通りかかった、前日に知り合ったばかりの若いチベット人の3人も心配して、わざわざ病院まで救急車の後を追ってきてくれた。自分も短期のバケーション中というのに何時間も付き添ってくれた。

最初に担がれた政府経営の病院は、小学校の救急室に毛が生えたという感じで、私のケガには対応できそうにないのが一目瞭然だったので、カナダ人男性に聞いた23kmほど離れた私営病院の救急車を呼んでもらった。

1時間後にそこに到着して、入院の手続を取った。

骨が2ヶ所折れていたので、足にメタルピンを入れて骨を固定する手術を翌朝6時にした。ヒザのでっかい穴も閉じてもらった。妊娠中で全身麻酔はできなかったので、足だけの麻酔だった。痛みはもちろんなかったが、ハンドドリルやカナヅチの登場した手術中は、車の修理をしているような騒音と衝撃が左足にひびいていた。

手術後に7日間入院している間も、インド人の看護婦さんや職員さんやその他の方々の心からあたたかい優しさにふれて、涙が出る思いだった。

病院の警備員でゴア出身のインド人のガネシャ。カーキのユニフォームを着ていて口ひげのある見かけは厳つい30代の男性だ。毎晩の巡回の途中に私の病室を訪ねてきてくれて、聖人の足にふれるように私の左足に触れて、空を仰いで祈る仕草をしていた。

小柄で大きな黒い瞳がきらきら輝いていた、若いインド人の女性ハウスキーパー。私を励ましそうとしてか、限られた英語で一所懸命話かけてくれた。天使のような笑顔の人だった。

事故の前日に会ったばかりの2人のスイス人女性と、その一人の旦那さんとアメリカ人のお友達も、わざわざ遠くからタクシーでお見舞いに駆けつけてくれた。バケーション中というのに、出会ったばかりの私に会いにきてくれるなど、その思いやりに頭を下げる思いだった。

病院から自宅までおよそ24時間かかった、ゴアからアムステルダムへの帰路でもいろんな人の優しさに出会った。

デリー国内空港から国際空港に向かうバスのシャトルで、私の車いすを車両まで持ち上げてくれたロシア人の男性。自分自身も左足が悪いのか杖をついていたが、頼まれもせずに、当たり前のように手伝ってくれた。

国際空港に着いた後も私がバスから降りるのを手伝うように待ってくれていた。「車いすを待っているからいいですよ」と言うと、私の腕を「がんばってね」というように笑顔でぎゅっと握りしめて下車していった。シャツの下に銀の十字架が光っていた。

車いすを待つ私が通路側にいる中、下車を急ぐこともなくじっと待っていてくれた小柄なアジア系の若い女性。車いすが来た10分後、片足の不自由な私の片脇を私のパートナーのテンジンとその小さな体で抱えてくれて下車を手伝ってくれた。お礼を言ったら、「何事もないわよ」みたいな笑顔で無言で立ち去った。

デリー空港内で、私にラウンジの席を譲ってくれたインド系のシンガポールの青年。シンガポールへの長い帰路の途中で次の飛行機を半日も待っている間で、自分もそこで寝ていたかったろうに。

デリーからパリの9時間のフライトで私が横になれるように、私に4つの座席を無料でくれたエールフランスの若い女性係員。おかげでゆっくりと眠れた。

天使のような笑顔で私に気を使ってくれたエールフランスの女性搭乗員。あなたの笑顔のおかげで、長いパリ行きの飛行機の中、私の心がどんなに和んだことか。

アムステルダムからパリまでのフライトでゆっくり足を伸ばせるように、私に3席の座席を無料でくれたパリ空港のオランダ航空男性係員。私の事情を察したのか、私がカウンターの近くで座っているところまでわざわざ駆けつけてくれて、デリー空港からの搭乗券を見た後にアップグレードしてくれた。

アムステルダムに着いてから、心配して日本からの特殊な「エネルギー棒」を持って私の治療に早速駆けつけてくれた日本人の友達の指圧師ヤスさん。治療のおかげで足の腫れがかなり引いた。

オランダ人の友達で、電子針での治療を専門とするフロリスさんも駆けつけてくれた。重い治療器具をすべて持ち込んでくれて、2時間治療してくれた。その後驚くほどヒザの動きが楽になった。

そして私のパートナー、チベット人のテンジン。インドの病院から24時間態勢で私の面倒を見てくれた。最初は寝込んでいて自分の口に食事も運べない私を介護してくれた。

アムステルダムの自宅に帰ってきても、具合が悪くて機嫌の悪い私の体を毎朝拭いてくれたり、食事をつくってくれたり、掃除洗濯をすべてこなして、トイレの世話までしてくれた。自分もかなり疲れていただろうに、夜中に何度も起こしても嫌な顔など一つもしたことがない。

これまで2週間歩けない中、心地よく生活できたのは、こんなに心のやさしい人にかこまれてきたおかげだ。

事故のおかげで幸運にも出会うことができた人々の親切心に心から感謝をしたい。

人の心に国境などはない。そこには人間としての純粋な思いやりがあるだけだ。

我々の現在の社会は悪いニュースで占められているようだが、絶望を感じることはない。ほんの一部の人間がこれらを起こしているのであって、大多数の人は私が出会った人のような親切心にあふれた人である。

また、親切な人についての記事をあなたがここまで読まれたという事実は、あなた自身も親切な人である、ということを語っている。人は通常自分が共鳴することに興味を示すからである。

あなたが望めば人の優しさはどこでも目にすることができる。それに注意を払うだけで、自分の周りに溢れていることが見えてくるだろう。

「人は生来、善か悪か?」への答えは、今の私には明らかである。

合掌。



































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